米沢 松岬神社 上杉鷹山公像 |
19日から福島、仙台、米沢へ。
伊豆大島を襲った大雨秋雨前線が関東から東北を北上し
各地で被害をもたらした。
20日の夜までは雨だったが、21日は目の覚めるような
「天高く・・・」の澄みわたる青空が広がる。
今年は米沢の南、会津若松がNHK大河ドラマの影響で脚光を浴び、
観光客の脚も伸びたと聞くが、
米沢は、上杉謙信から連なる代々の上杉家が治めた地であり、
また「なせば成る 成さねばならぬ・・・・」の歌で
知られる第九代藩主・上杉鷹山も市民にとっては
誇らしい身近な存在であろう。
鷹山は、宮崎高鍋藩の秋月家から米沢藩の上杉へ
婿養子として迎えられた。その秋月家は、
豊臣秀吉の九州征伐までは、現在の福岡県朝倉市の
秋月を治めていた豪族・秋月種実の子孫である。
秀吉に降伏した種実は高鍋に移封され
江戸時代も高鍋藩主として秋月家は続く。
筑前の小京都・秋月と歴史のまち・米沢は
血がつながっている。
正面に上杉神社、右手が松岬神社 |
残念ながら秋月ではあまり語られていない。
鷹山が藩財政改革のため地元の産業を興した時代に、
秋月黒田藩八代藩主・黒田長舒(ながのぶ)もまた
今につながる和紙や葛を地元の特産と成した。
共通するのはその時代背景だ。
江戸時代の「天明の大飢饉」後、多くの藩が財政に
苦しんだ。米沢と秋月は、それを藩主の才覚で乗り切った。
実は・・・
秋月藩主・黒田長舒は、高鍋藩秋月家に生まれ
八代藩主として秋月藩に迎えられたのだ。
つまり、鷹山と長舒は血がつながっている。
鷹山は長舒の叔父に当るのである。
上杉謙信から代々の御霊を祀る廟所。鷹山公の廟は 正面左手奥から二番目にある |
江戸時代、再び秋月の治世に注がれることになった。
文政二年に創業した「廣久葛本舗」は
十代 髙木久助が当主として今も暖簾を掲げている。
米沢と秋月、この二つの地は、同じ「血」で結ばれていた。