上杉鷹山公と筑前秋月~米沢

米沢 松岬神社 上杉鷹山公像
2013年10月21日 山形県米沢市

19日から福島、仙台、米沢へ。
伊豆大島を襲った大雨秋雨前線が関東から東北を北上し
各地で被害をもたらした。
20日の夜までは雨だったが、21日は目の覚めるような
「天高く・・・」の澄みわたる青空が広がる。


今年は米沢の南、会津若松がNHK大河ドラマの影響で脚光を浴び、
観光客の脚も伸びたと聞くが、
米沢は、上杉謙信から連なる代々の上杉家が治めた地であり、
また「なせば成る 成さねばならぬ・・・・」の歌で
知られる第九代藩主・上杉鷹山も市民にとっては
誇らしい身近な存在であろう。



鷹山は、宮崎高鍋藩の秋月家から米沢藩の上杉へ
婿養子として迎えられた。その秋月家は、
豊臣秀吉の九州征伐までは、現在の福岡県朝倉市の
秋月を治めていた豪族・秋月種実の子孫である。
秀吉に降伏した種実は高鍋に移封され
江戸時代も高鍋藩主として秋月家は続く。
筑前の小京都・秋月と歴史のまち・米沢は
血がつながっている。

正面に上杉神社、右手が松岬神社
米沢では、その事実を多くの市民が知っているのだが
残念ながら秋月ではあまり語られていない。
鷹山が藩財政改革のため地元の産業を興した時代に、
秋月黒田藩八代藩主・黒田長舒(ながのぶ)もまた
今につながる和紙や葛を地元の特産と成した。

共通するのはその時代背景だ。
江戸時代の「天明の大飢饉」後、多くの藩が財政に
苦しんだ。米沢と秋月は、それを藩主の才覚で乗り切った。
実は・・・
秋月藩主・黒田長舒は、高鍋藩秋月家に生まれ
八代藩主として秋月藩に迎えられたのだ。
つまり、鷹山と長舒は血がつながっている。
鷹山は長舒の叔父に当るのである。


上杉謙信から代々の御霊を祀る廟所。鷹山公の廟は
正面左手奥から二番目にある
鎌倉時代から秋月の地を治めていた秋月氏の血は
江戸時代、再び秋月の治世に注がれることになった。
文政二年に創業した「廣久葛本舗」は
十代 髙木久助が当主として今も暖簾を掲げている。

米沢と秋月、この二つの地は、同じ「血」で結ばれていた。