自由への扉~敦賀

 
2016年9月 福井県敦賀市 人道の港 敦賀ムゼウム

建物の隣に「自由への扉」と記されたモニュメントが建っている。

昭和15年ごろ、ナチスドイツの魔の手から逃れてこの地に辿り着いた、多くのユダヤ難民の自由と未来のために開かれた扉という意味だろうか。
その難民が逃れる後押しをしたのが、当時リトアニアに領事代理として赴任していた日本のシンドラーと呼ばれた杉原千畝氏だ。数年前には、俳優の唐沢寿明さんが杉原千畝を演じた映画も公開された。この施設には杉原千畝氏を偲ぶコーナーがある。

 
平日の昼間だったが、外国の方が訪れていた。敷地内には、イスラエルから送られたという植樹があったが、そういう歴史を知っている人のようだった。

なぜ、敦賀にそういう歴史があるのか・・・といえば、敦賀は明治の頃からロシア(ウラジオストック)につながる航路だったからだ。日本からヨーロッパに行くには、ここからロシアに渡航し、大陸横断列車でドイツ、フランスなどに向かったのだろう。
ユダヤの難民は、その逆のルートでこの地に命からがら逃れてきたのだ。

そういう歴史があったことにちょっと驚かされるが、難民は約6000人にのぼったそうだから、敦賀の人はきっと怖かったに違いない。だが、難民の記憶に残っているのは、とても優しく接してくれた人々の姿だったという。昔の日本人・・・日本人にはもともとそうした優しい心遣いがあったように思う。それは、皆貧しく、助け合わないと生きていけなかったからではないだろうか。孤立しないように、それぞれを思いやり、絆を頼りに生きてきたからではないだろうか。現代には無い社会だったことは間違いない。

自由への扉をくぐって生き延びた人たちは、やがて秩序あるコミュニティを築き、今も平和に暮らしているようだ。「発給はならぬ」という国の指示を無視してビザを発給した杉原千畝の思いを、今もしっかりと受け継いでいるのだ。