天拝山登山口の公園。市民の憩いの場。 |
2018年11月24日 福岡県筑紫野市天拝山
天気の良い日に登ると、福岡市内を一望できるお気に入りの場所だ。どこにでもある自然豊かな森、そして市民の憩いの場であるが、頂上から見える眼下の平野は、戦国時代、博多に攻め入ろうとする島津の大軍を四王寺山に岩屋城を構えた高橋紹運が迎え撃ち、壮絶な戦いが繰り広げられた合戦場でもある。島津軍はおよそ5万、一方の高橋軍はわずか763人だったとされ、全員玉砕。しかし、島津軍は大きな打撃を受け、また、秀吉の援軍も到着し退かざるを得なくなったため、博多の町は戦火を免れたということである。
高橋紹運は、立花山に居を構える立花道雪とともに豊後・大友宗麟を支える二大看板の武将であった。その子、宗茂が立花家の養子に入り、後に柳川藩の初代藩主となるのである。そんな歴史の大舞台となった平地を天拝山から一望できる。蛇足になるが、紹運の子孫に当たるのが、かつての総理大臣・麻生太郎さんだとされている。