『原色少年植物図鑑』




花壇の植栽などをボランティアでされている方を取材したおり、「私がいまでも宝物のように大事にしている本なのよ」と、手帳サイズほどの『原色少年植物図鑑』と箔押しされた古い本を見せていただいた。著者は牧野富太郎、昭和29年の出版となっていた。
私の関心は「植物図鑑」よりも、タイトルの「少年」にあった。どこかにわくわくするような冒険ドラマでも隠されているのではないだろうかと、好奇心を指先に集中し覗くように1ページ、1ページめくってみるが、そこには少し色褪せた植物画と説明書きで構成された何の変哲もない誌面があるのみだ。確かに当時としては出色の出版物には違いないが、肝心の「少年」がどこにも見当たらない。それは取材の目的ではないため、すぐに忘れてしまった。

ところが、その本の著者である故・牧野富太郎ゆかりの高知県立牧野植物園を取材することになった。著者の牧野富太郎氏は、幼少から植物が好きで94歳で他界するまで全人生を賭けて日本全国を踏破し日本の植物を徹底的に調べ上げて分類した日本の植物分類学の祖であると知った。明治、大正、昭和初期の頃だから携帯できるカメラなど一般にはない時代、牧野博士は自身の手描きによって植物の種類や特徴をまとめ上げた。牧野植物園には博士が発見し命名した植物などが植樹され、植物を描いた膨大な数の原画が保管されていた。(詳しくは当地のHPを!)

実際に原画を見せていただいた。「圧巻」の一言に尽きる。単なる描写などではない。生命まで描きこんだ一筆の妥協も許さない迫真の精密画だ。生き様の迫力とも受け取れる。こんなエピソードを聞いた。博士は植物に敬意を表し、いつもネクタイを締め正装で野山へ採集に出かけたそうである。博士の描いた絵を見ていると、背筋がピンとしてくるのはそのせいかもしれない。

話は『原色少年植物図鑑』に戻る。牧野氏は少年時代、五台山まで出かけてはめずらしい植物の採集などに熱中したという。自然を生きる植物の生態や生命力に心をときめかせたのであろう。そして「植物を知ることは自然を知ること。人が生きる知恵を持つことだよ」と、戦後の新しい日本を築いていく少年達に呼びかけたに違いない。ITを使いこなす教育も大切だが、実際に植物に触れ、植物から自然を学び、人間の生きる知恵を身につけるような実践教育こそ、これからますます実現されねばなるまい。

2012.02.06