二王座~大分県臼杵市


臼杵城(2009年10月撮影)

いつか来た道~2009年10月
臼杵市と言えば、大林宣彦監督の映画『なごり雪』を思い出す。『なごり雪』といえば臼杵市の隣、津久見市出身の元かぐや姫のメンバー・伊勢正三さんが作詞作曲の楽曲だ。イルカさんの歌でヒットしたと言ったほうがわかりやすいかもしれない。津久見で生まれた曲が、なぜ隣町の臼杵を舞台にした映画のタイトル、主題歌になったのか。

二王座周辺の路地(2009年10月撮影)

あるきっかけで臼杵を訪れた大林さんは、まちから漂う空気が尾道に似ていると感じた。古い街並みや昔ながらの風情が残り、とくに二王座の周辺の情緒はこのまま残しておきたい懐かしい日本のよき風景だと感じたらしい。

監督が尾道で撮った『転校生』『時をかける少女』『さびしんぼう』は尾道三部作と呼ばれ、そのおかげで尾道には多くの観光客が押し寄せた。それは映画の随所に、どこか懐かしい昔ながらの日本の風景がそこに映っていたからだった。

街が賑わいはじめると行政は映画によって「町起こし」ができると、街の整備を始める。もともと尾道は坂の多い町、小さな路地の多い町なので、もっと便利に快適に観光客が町を巡りやすくしようと、長年そこにあった木を伐って道を拡張しでこぼこ道をコンクリートで舗装した。

そうした動きに大林さんは激怒する。「枯れた木やでこぼこの道は、町に刻まれた顔のシワと同じ意味がある。長い歳月をかけていい顔に、町に育っていった証じゃないか。それに指一本触れたら二度と尾道で映画は撮らない。大事なのは“町おこし”ではない。“町残し”であり“町守り”だ。


二王座周辺の路地(2009年10月)
 大林さんのその言葉で、現在の尾道はいまだに昔ながらの風情を留めている。それと同じ“町守り”の戦いが、過去にこの臼杵であったことを偶然知った大林さんは、ぜひ、ここで映画を撮りたい、この町のシワをフィルムに刻み付けたいと思った。

この映画を撮った機材は、この映画の舞台と同じ年代のものを用い、その年代のセリフ回しにもこだわっている。今観るとデジタル映像のような鮮明さはないがしっとりとした空気感は秀逸だと思う。また今はないセリフ回しにもちょっと違和感を覚えるが、逆に、臼杵の町のシワとクロスオーバーして他の映画には無い味つけになっている。

二王座周辺(2009年10月撮影)
私の「伝えのこしプロジェクト」は、大林さんの「町残し」「町守り」の話を直に聞いたことがきっかけだ。クラッシュ&ビルドで高度成長を続けた日本にいったい何が残ったのか、何が失われたのか、古いものをどんどん壊して新しくしていくことを文明の進化と信じることが正しいのか・・・(詳しくは氏の著書『日々世は好日』」を!)その洞察に深い感銘を受けた。


監督とその対談相手の話を雑誌原稿にまとめるのが私の仕事だった。大林さんの著書を読み、映画「なごり雪」を観てイル
カさんの曲を聞き、できあがった原稿を広告代理店に納めるそ の朝、幼なじみの後輩から携帯に電話が入った。その言葉を聞いた瞬間、私は首の後ろから背中にかけてゾクゾクッと震えを覚えた。「『なごり雪』のイルカさんのトークショーをするので、その対談相手を引き受けてもらえないか」。彼は、私のやっていることをどこかで見ていたんじゃないだろうか、彼は寺の住職だから何か霊感が働いたんじゃないか、正直そんなことを思った。


二王座周辺(2009年10月撮影)

実はイルカさんは、私と彼が卒業した中学校が統合して新しい学校になり、その校歌をつくった縁で何度か田舎を訪れていて、故郷の先輩ということで私を思い出し声をかけたというのだ。私にしてみれば「なんたる偶然、なんたる縁」の心境だった。ちょうど電話がかかってきたとき、私の頭の中にはイルカさんの「なごり雪」が流れていたのだから。

トークショーは別府のビーコンプラザで行われた。ステージには本日のテーマとして『縁(えにし)』と書かれていた。まさに私にとっても「縁」があるできごとでこの偶然にも驚いた。だが、本当の「縁」は、その後にあった。会が終了し、その主催者の方からお礼にと言って筆書きの色紙をいただいた。そこには「日々是好日」とあった。いろいろな偶然や縁が重なると、何かに導かれていることって本当にあると思わざるを得ない留めだった。

二王座界隈、臼杵石仏などは映画にも登場していた。街中の通りも懐かしい空気感が漂っている。キリシタン大名・大友宗麟の面影を訪ねて臼杵城の散策もよし。ランチタイムにちょっと入ってみたいお店もたくさんあって味も二重丸。カメラ片手に1日かけてのんびり散策するには絶好の街だ。
(伝えのこしプロジェクト http://tn-p.jp)

臼杵石仏群(2009年10月撮影)