南三陸町志津川へ

南三陸ホテル観洋から志津川方面を望む。
静かで鏡のような海面だが、ここに15メートルの津波が来たとは想像もつかない。
写真の奥、かつての町の中心街は、約15メートルのかさ上げ工事が進行中だ。

2016年6月7日 宮城県南三陸町志津川

福岡空港から仙台空港まで約1時間半、さらに仙台駅までJRで約20分。

仙台駅から歩いて5分の宮城高速バスセンターから気仙沼行で

南三陸ホテル観洋まで約110分、そこからタクシーで約7分、今宵の宿、民宿・明神崎荘へ。

目的地に行く高速バスが一日3本しかないため、仙台駅で約2時間半ほどの時間待ちが

余儀なくされる。ちょうど昼時だったので、牛タン定食を・・・と思ったが、

メニューにあった岩手の冷やし中華が懐かしくて、そちらをいただいた。


東日本大震災の津波の動画のなかで、もっともショッキングで鮮烈な一本を記憶していた。

それが、この南三陸町のものだったことは、この地に来て知った。

高台にある中学校から撮った動画だ。動画をみても鳥肌が立ったが、それを撮った場所から

津波の奇跡をたどると、津波のスケールと破壊力、そしてスピード感が直に伝わる。

運悪く亡くなった人も多いが、運よく助かった人は本当に奇跡的に助かったと言っても

過言ではないだろう。居場所が悪ければ、間違いなく波に呑まれただろう。


復興、復興と言うけれど、この5年間の進捗状況から言えば、土地のかさ上げだけだ。

港の漁業市場だけは新しくなっていたが、ほかはまったく復興の旗印と言えるものはない。

工事車両は行き来しているが、重機はほとんど動いていない。だから町が静かだ。

もっとガーガー、ゴーゴーやってるのかと思ったが、ちょっと意外だ。このスピード感覚で

復興と言うなら、いったいいつになったら新しい町になることやら。



かさ上げされた土地と土地の間のくぼ地に、「天使の声」として言い伝えられる

かつての防災対策庁舎が、その赤い鉄骨をむき出しにして風を素通ししている。

この4月からは、周辺が立ち入り禁止となり、現在は、道路を隔てた正面に、

かつてからあったお地蔵さんと、献花ができるような形ができていた。

正直、骨がむき出しになったガイコツのような防災対策庁舎を前にすると

痛ましい記憶がフィードバックするが、頭の中にその場の津波をシミュレーションすることさえ

恐怖を感じて鳥肌が立つ。高さ12メートルもあるこの庁舎を、津波は軽々と乗り越えて、

屋上に避難していた職員らを呑みこんでいったわけだから、

その凄まじさと生々しさに、及び腰になって後ずさりしてしまいそうになるのも当然だ。

実際にそんな津波が来たらと思うだけで、身体に恐怖の戦慄が走る。

もし我々がその場にいたら、間違いなく腰を抜かして小便を漏らし、

恐怖で髪も抜けてしまうかもしれない。

ただ、ただ、亡くなられた方のご冥福を祈るばかりだ。