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本葛の表面を弾むように叩いて中の空気を抜き、引き締める「たたき」の行程 |
2018年3月
秋月・廣久葛本舗の作業場では、寒の締まるこの時期、本葛づくりの最終行程である伝統的な「船入れ・船上げ」作業を行う。この行程が見られるのは、おそらくここだけ。たいへん貴重な作業風景を見学させていただいた。
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本くず粉の原料となる「寒根」 |
上の写真が、真っ白い本くず粉の原料「寒根」である。これを砕いて、繊維を搾ってデンプンを抽出し、何度も水で晒して半年〜1年自然乾燥させると白い塊の本葛が出来上がる。原料の寒根は、すべて掘り子と呼ばれる人が山奥で手掘りしたものだ。一見すると木の幹のように見えるが、木ではない。山に行くとよく目につくツルの根っ子と思っていただけるとわかりやすい。根っ子であるが、その大きさは長さ1メートル、大人の太ももほどの太さがあるから、これはこれで驚きだ。約30年ほど成長したものがもっとも適しているという。ただし、晩秋から翌年の初春までがデンプンをしっかりと蓄えた収穫期だ。これを砕いて繊維を搾り葛デンプンを抽出する。それを何度も水で晒したものが、下のような白い塊になる。
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柔らかい粘土のような塊の葛デンプン |
この塊を手でならし、二人が向かい合わせになって上から「パンパンパン」とリズムに乗ってたたき始める。このたたき方にもコツがあり、強すぎず、かと言って力を抜かず、弾むように二人で調子を合わせ、中の空気を抜くのである。空気が残ると発酵する恐れがあるからだ。
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廣久葛本舗の10代目高木久助さん。「たたき」の音が小気味好い。 |
たたくことで全体が固く締まっていくのだが、手でギュッと押すと凹むという。これも本葛ならではの特徴なのだ。全体が引き締まったところで厚手の布を2枚、上にかぶせ、さらにその上から水分吸収に使う専用の葛の粉をふりかける。昔は木灰を降りかけていたそうだが最近では手に入らないため葛の粉に変えたらしい。その状態で30分ほど置くと水分が抜けてカチカチの一枚の板状に固まる。先ほどまで押せば凹んでいたのに、まったくカチカチなのだ。その表面に、かけた布の後が付いているのがわかると思うが、この布のシワが模様となった葛は日本で唯一ここでつくったという証になるという。言わば、放牧の牛に押す焼印と同じく、ブランドの証明なのである。また、これが約200年前から続く伝統的製法の証でもあるのだ。歴史が目に見えるというのは面白い。
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表面のシワシワは被せた布の形。約200年続く伝統的製法だ。 |
この表面に目印を入れて包丁で豆腐大にカットする。さらにそれを半年〜1年自然乾燥させて商品となる。もっとも、早く商品化しようと思えばボイラーなどで乾燥させれば1日で完成品になる。それがわかっていても決してそういうことをしないのが老舗の看板を守るということなのだろう。そういうものづくりに対するブレることのない取り組みこそ守るべき文化だと思うが、残念ながらその良さをわからない消費者が多すぎる。それがわかっていても作り続ける姿勢には敬意を表したい。
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固くなった餅のような感じ。全身の体重を乗せながらカット。 |
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この状態で半年から1年、葛蔵で自然乾燥させるのだ。 |
原料を仕入れてから商品になるまでには1年以上の時間を要する葛づくり。聞けば、秋月で葛が特産品になるきっかけとなったのは、米沢藩主だった上杉鷹山かもしれないというから驚く。殖産興業として葛づくりを奨励した秋月藩主・黒田長舒と上杉鷹山は、叔父甥の仲。若くして藩主になった長舒は、叔父の鷹山が米沢で行った殖産政策を真似て秋月藩でも行ったのだ。そして、なぜ殖産政策をする必要があったのかというと、日本全体を揺るがした天明の大飢饉によって各藩の財政は疲弊し、新たな産業を起こすことは喫緊の課題だったからだ。また、それまで葛は民間薬として主に使われていて、それを食べるために作るというのも天明の大飢饉の影響があったからに違いない。ちなみに、廣久葛本舗の久助葛というのは、江戸時代中期以降、江戸市中で評判となり、品質の良いクズのことを皆「久助」と呼んでいたという。その辺の詳しいことはHPなどを見るとわかる。
最後に、ここの久助葛は100%天然、純国産、しかも100%本葛の本物だから安心していただけるのが何より嬉しい。私は、黒糖生姜の葛湯が気に入っている。
2018年